グリーンヒル

古谷実グリーンヒルのコミック(コンビ二版の簡易コミック←業界よーごでなんていうの?)が最近コンビニに並んでいる。

普通のコミック版だと三巻のところを、上下二巻の構成(ちなみに二巻計880円だから装丁がしょぼい割りには安くない)。で、下巻を今日読んだ。雑誌連載当時に読んでたけれど久しぶりに読み直した。

最近のはやり言葉である「下流」というキーワードは、彼の漫画において稲中のころから一貫しているテーマだ。彼が「稲中」で始めた、当時ありそうでなかった画期的な(というより彼以前はモラル的に誰も踏み込まなかった)ギャグの特徴は、「コンプレックスを持つ人をそのコンプレックスをネタに笑う」ことにある。これをここでは仮に「下流ギャグ」と呼ぶことにする。稲中のころは学校(学校カースト)においてそれぞれにコンプレックスを抱える生徒の日常をギャグとして描き、「僕といっしょ」ではそれを学校の外、(生まれつき)恵まれない境遇の若者に拡大した。

グリーンヒルは、基本的には「僕といっしょ」と同じような構成で話が進んでいく。しかし決定的に違うのは、主要登場人物に初めから「大人」、すなわち、自分の将来イメージと現実のギャップに苦しむ若者ではなくそのギャップを既に諦めて受け入れてしまった大人、が登場するところだ。

ご存知のように彼のその後の漫画「ヒミズ」「シガテラ」ではギャグはほぼ封印され、上のようなギャップに苦しむ若者の日常と非日常の往復生活が話のメインテーマに成る。この辺の話は鈴木さんの Soul for sale :Was berührt deine Seele?がお勧め。シガテラの最終回とあわせて読むと、正直泣けてくる。

グリーンヒルにおいても前半部分は稲中ばりの「下流ギャグ」がメインなのだけれど、途中から、まさに下巻のアタマのあたりから明確に「シガテラ」的な隠れテーマが表に顕れはじめる。そこでモチーフとして使われる対比は、関口君を初めとした若者の抱える将来への不安感と、大人側(伊藤ちゃん、そして中途半端な大人としてのリーダー)の「ふっきり」だ。

「普通に生活する大人になる」ことすらとてつもなく困難に思える。彼ら、そして僕らの抱える悩みはまさに「中流生活からの脱落の不安」そのものだ。そして物語は関口君の「ちゃんとしなきゃ」で終わる。

稲中の連載当時の時代では、古谷の下流ギャグ、恵まれない人物をさらに笑いものにするように取れるギャグ、に対して賛否両論の空気があったことを覚えている。しかしいまや彼のギャグは特に手法として新しいものではなくなってしまい、まさに「下流」が流行ワードになってしまった。

ここ5-10年くらいの時代の心理的変化はやはり大きなものだと思うし、それを先行して表現していた古谷実の特異性にも驚かされる。