どうでもいいこと

日本人の宗教は「日本教」だとたまにいわれるけれど、その言葉の中で重要な点として、多くの日本人は自分の宗教的スタンスに無自覚で暗黙のうちに宗教に中立的な「無神教」だと信じている、ということがあると思う。

実際はその人個人の「無神教」が中立であるとは限らず、また場合によっては特定の宗教を信じている人よりずっと他の宗教に対して非寛容的だったりする。

具体的にいえば、例えば信頼できる友人に「近所の法事に一緒に参加してくれない?」と聞かれたときと「こんどキリスト教のミサに行くんだけど一緒に付き合ってくれない?」と聞かれたときで、心理的な障壁が異なるんだとしたらそれは決して「宗教的に中立」なんかじゃない。多くの人は(日本の)仏教には親近感を持っているし、一方で他の宗教(特に一神教的な宗教、あるいは小規模なコミュニティで運営される教会的なもの)に対しては結構な忌避感をもっていたりする。けど、それをあまり自覚していない。

自覚していない人の中では、「無神教」である自分が他の「信者」よりいくらかの点で優位にあると思っている人がわりと多くて、そういう人は宗教全般(慣れ親しんだものは無自覚に除かれる)に関して「積極的」に見下していたりするし、その優越感を崩されたくないと思っている。

…というような態度が macska さんのこのエントリ( 「新しい無神論者」エントリのブクマコメントに一斉お応え - *minx* [macska dot org in exile])に絡む反応にも見られるなあ、と思った。

さてなんでこんなことを書いているかというと、上のエントリにつけたブックマークコメントで、id:gohshi さんとやり取りしてて、100字ではぜんぜん伝え切れなかったため。はい、「積極的無神論者」は言葉が悪かったです、すみません。