都市の雪国

はてなブックマーク - NHK:豪雪の被害がたいへん……でも、なんであんなところに人が住む?
で話題になっているけれど、話としてはいつもの散人さんの言っていることそのもの。散人さんのエントリはいつも短く散発的なのだけれど、上のエントリはちょい長めで過去の主張のまとめ的なエントリになっている。

散人さんはいつも「どこまでを田舎と呼ぶか」をぼかして書くので当然反発を呼び込むのだけれど、基本的には正論でしょう。

これ読んで最初に思ったのは日本以外の雪国(東欧、北欧など?)では、平野部以外にどれだけの人が住んでいるのか、山間部にどの程度の人口が残っているのか、ということ。

ここでの問題は「雪国vs都会(東京)」ではなく基本的には「山村vs都市」だ。雪国であっても札幌ではなにも問題にならない。そもそも札幌ならば機械的に除雪できるリソースが内部に持てるわけだし。

山古志村の件なども同じだけれど、山間部に住むことには孤立するリスクが伴う。当たり前だがリスク要因は「集落への唯一の陸路が隘路であること」だ。大雨や崖崩れなどで道路は簡単に封鎖されてしまう。「雪国の山間部」ならばリスクはさらに高い。

散人さんも言っているように、集落の中に最低限の社会的リソースは抱え込めれば何の問題もないのだけれど、現実はそうじゃない。最も端的なのは医療。ただでさえ県庁所在地クラスの都市でなければ立ち行かなくなっている現在の医療システムでは僻地医療は絶望的に困難で、既に機能していないに等しい。

そういう場所に現在住んでいる人にも最低限のサービスを提供することは当然とは言え、災害で一度リソースが破壊されてしまったところにこれから敢えてコストをかけてまで再び住んでもらうことは妥当なのかどうか。山古志村のときにそれが問われなければならなかったのではないか。

本題と関係ないけれど「どこまでを田舎と呼ぶか」というのは言い換えれば、「シビル・ミニマムを提供すべき限界はどこに設定するか/社会の中で誰がどのような手続きで決定するのか」という問題設定だ。こんな話はどこかでとっくの昔に(社会科学的な)議論が行われていると思うんだけれど、どっかのページで教えてくれないかな。