ブログにおけるプロフィールの重要性

テラヤマアニさんのXBOX360に関するエントリの周辺が白熱中。

議論のポイントは後回しにするとして、それ以前に重要なのが
誰がゲームを殺すのか - おれはおまえのパパじゃない

全くひどい言われようだ。まず最初に言いたいのですけども、なぜ俺が「薄いゲーマー」で「ゲームにさして強い興味も執着もな」くて「生活の中心にゲームを置いていない人」と断定されるのか。何かそういう材料が俺の日記の過去ログにでもあったのですか。ゲーモクさんに比べれば俺は随分とゲームのプレイ時間もやった本数も少ない薄いゲーマーと看做されるのだろうけども、ここまで言われて小ばかにされる根拠は一体なんなのか。適当にdisっておけばいいってもんでもないですよ。

という部分。

ゲーモクさんの最初のエントリは、テラヤマさんの「インベーダーの誕生から何十年ゲームとともに生きてきた」という(かのサイトの読者なら大抵知っている)バックグラウンドを全く無視しているように見える。

似たようなケースとして思い出されるのが、風野さんの サイコドクターぶらり旅 で取り上げられた、「ブラックジャックによろしく」に当サイトの文章が?というエントリに付いた(主に2ch方面からやってきた人による)コメント群だ。ここで「そんなの素人のお前の思い上がりだ」とコメントをつけた多くの人は、風野氏のプロフィール=「精神科医かつコラムニストとしても以前から知られていた人」を全く考慮することなく、ブログの1エントリ *1 から内容の妥当性を判断しているわけだ。

風野さんの反応(サイコドクターぶらり旅 - さてどうするかな)でも述べられているとおり、ブログにはじめて訪れる人はその著者がどういうバックグラウンドの人かなんてことにはおおよそ興味はなく、エントリから読み取れる情報量だけで(何らかの)判断をしがちだ。

Web日記(あるいはテキストサイト)時代とブログ時代で最も変わったのは言うまでもなくパーマリンクが普及したことだろうが、パーマリンクは情報ストックへのアクセス性を各段に高めた一方でこういう暗黒面ももたらしている。

ブログの作者としてはエントリをバックグラウンドと切り離されて読まれるということはある程度諦めるしかない。ただこういうすれ違いを避けるために、プロフィールなどへのリンクをなるべく目に付きやすいところに配置したほうがよい。こんな単純なことでもやらないよりはましだろう。

*1:このケースではエントリすら読んでなく 2ch の書き込みだけかもしれない