スポーツと日本戦とメディアと消費者

ジーコの「テレビ局がそれを望んでいる以上仕方がない」発言の意味は? - http://www.jimbo.tv/

ワールドカップ、クロアチア戦の直後の共同インタビューでジーコが、「2試合連続で炎天下での試合になったのは、日本にとっては厳しい条件となった。しかし、テレビがそれを望んでいる以上仕方がない。」と語っていましたが、なぜか日本の通訳(テレビ朝日)はその部分だけ訳しませんでした。

そもそも、この部分は正確じゃ無いながらもちゃんと訳されてたと思うんだけど、どうでしょ? あの発言(言い訳)はあまりにも唐突な印象だったから訳者が正確に訳せなかったのはある程度仕方がないと思う。その後のニュース映像とかではカットされているかもしれないけれど、そちらはテレビ局の意図的な物でしょうね。

 体力的に劣っている日本が、テレビ局の商業上の都合で昼の時間帯の試合をさせられているとすれば、「あの頑張れ日本!」のパフォーマンスは一体なんだって事になると思ったので、ジーコ発言の真意をぜひ知りたいと思いました。よもや、日本のテレビのゴールデンの時間帯に合わせるために、早い方の時間帯を希望したなんてことは無いとは思いますが・・・。

メジャーなスポーツの試合開始時刻がTV中継の都合、すなわち視聴者の都合で決められるなんてのは当たり前もいいところで、そんなことみんな常識的に受け入れているんじゃないの? メディアに関わる立場の人がそれを知らなかったとしたら、そっちの方が大きな驚きだ、本当に。知らなかった人は、いままでそういう視点でスポーツ見たことは無かったのだろうか?

そもそも国際イベントに限らず、一定以上の知名度があるスポーツの試合時間ってのは常に観客や視聴者の都合で決定されるものでしょう。土曜日の夜7時から、日曜の夕方4時から、みたいな具合に。そうじゃないとしたら、それは選手の都合以上に考慮すべき観客がいないってことで、そんなのアマチュアスポーツ以外あり得なくない? アマチュアだって観客の目があれば選手側がそれに合わせざるを得ないんだし。選手の都合を優先するなら、W杯の日程は一ヶ月拡大して試合間のインターバルをもっと取るべきだよ。

ここから先は神保さんのエントリというよりそれに対する反応について思ったこと。少なくとも今回のケースではTV局の都合ってのは即ち視聴者である我々の都合であって、両者の利害はほぼ一致している。視聴者が見やすい時間帯である10時キックオフじゃなかったら日本戦を見る人はもっと少なく、イベントとしての盛り上がりも小さく、お祭りに参加することの楽しみも今より相対的に小さかったに違いない。いつだってメディアと視聴者は暗黙的な共犯関係にある。中学生じゃあるまいしみんなそれに気づいているはずだ。例えば次のニュースをW杯が始まる前に見て、真っ先に代表のパフォーマンスを心配した日本人がどれくらいいただろう。午前4時じゃなくなってよかった、これでみんなと一緒に盛り上がれる、と思うケースが大多数じゃないのか?
豪、クロアチア戦の開始時刻を変更 - 2006年ドイツW杯 日本代表ニュース : nikkansports.com

 国際サッカー連盟(FIFA)は10日、W杯ドイツ大会の日程変更を発表した。テレビ放送のため、当初の予定から各国の時差などを考慮した。日本戦の開始時間は2試合が変更され、次の通りに決定した。

 ▽オーストラリア戦(カイザースラウテルン) 日本時間6月12日午後10時(同13日午前4時から変更)

 ▽クロアチア戦(ニュルンベルク) 同18日午後10時(同19日午前1時から変更)

[2005年12月10日 21時23分]

そういう共犯関係(試合時刻変更を望んだのは我々自身であること)に気づかないふりをして、ナイーブにメディア批判に繋げてしまう神経や、それが「メディアリテラシー」だと思いこんでる人を見ると、本当にがっくりする。


関連: W杯 クロアチア対日本 0-0 日本苦戦の戦犯は電通か?: 天漢日乗

ここにもあるように「涼しい時間帯での試合」が日本優位と明確に予見できるわけもないのに、一企業が自社と顧客(視聴者)の利益を明らかに損なってまで(利益機会を見逃してまで)、そこに固執する必要があったのでしょうか?